2020.9.28(月)
先ほど三角(みすみ)西港から戻ってきました。 ですので、本当は「世界文化遺産」について綴りたいのですが、そこを抑えて、熱の冷め切らないうちに昨日(27日(日))のことを先に記しておくことにします。
昨日は、熊本市内にいるうちに行っておこうと決めていた「熊本城」へ出掛けて来ました。 遠くはありませんし、”運動不足解消”という意味も込めてホテルから徒歩前進です。
途中、経路上の「桜町バスターミナル」に立ち寄って”ICカード”を購入して来ました。 現在は、専らJRで移動していますが、10月1日からは鉄路の無い上天草へ拠点を移しますので、移動の頼り綱”産交バス”を円滑に利用するためには、と思ったためです。 札幌でも持ったことがない”ICカード”ですが、妻が引っ越してくるまで自家用車がない状況が続くので、きっと活用することになるでしょう。
2016年4月16日の熊本地震から4年半という時間が経とうとしています。
「目に見える復興」を目標に掲げた復興のロードマップの先陣を切ったのは「天守閣」の修復だったそうです。 これは、「熊本市民・熊本県民のシンボル」である天守閣を最優先に修復することで、市民・県民の意識高揚を図るのが目的だったとのことですが、こうして市内各所から望むことが出来る身近な存在がいつまでも無残な姿を晒していていけない、という英断だったのかも知れません。
今回は、見学通路が完成し6月から開始された「熊本城特別公開第2弾」を利用して間近で熊本城を見上げることができたのですが、左側にある背の高いクレーン車は本日29日(月)撤去とのことで、図らずも長らく修復工事のアイコンだった重機がある最後の景観を見ることができた日でした。
「熊本県立熊本博物館」の入館もパックになっているチケットを購入したので、熊本城公園を抜けて向かいました。 城壁越しに、右から「大天守」「小天守」「宇土櫓」だったはずです。
熊本地震について報道されていた間は意識せずとも情報が入って来ていましたが、マスコミのフェードアウトとともに札幌で暮らす私も「復興の道半ば」ということを忘れかけていました。 こうして復興の現場を目にする機会を得て、その歩みは今日明日で何か大きく変わるものではないとは思いますが、少しずつ、でも確かに前へ進んでいるのだということを知ることができました。
実家にある古びたアルバムには、熊本城とともに写る幼い私の写真があったと記憶します。 熊本は父の故郷、妻は隣の大分県の出身、そんな九州に”縁”のある私が上天草で仕事に就くことができるのは、とても嬉しいことだと心から思っています。