2020.11.21(土)
さて、ありがたいことに更新が滞っているどころじゃないくらい滞っているにも関わらず読みに寄って下さる方がいらっしゃるので、”上天草市地域おこし協力隊 ~北海道から移住してみた~”でアップしたものをコチラにも貼り付けるというパラレルなカンジでお送りする”手抜きブログ”ではございますが、ご高覧賜れば幸甚です・・・という次第です(^-^;
まぁ、上天草市の高齢化については翻って全国どこの地域でも遅かれ早かれ同様のことに直面するワケですが、その中で高齢者の方々の活動がどのように行われているかということについて特段のご興味がない向きには”上天草市地域おこし協力隊 ~北海道から移住してみた~”(https://kami-amakusa.hatenablog.jp/)の方は読まないと思いますので、ニュートラルな内容に限り、コチラでも紹介させていただくことといたします。
では、始まり始まり~
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”思い付き”を重んじる私、昨晩スーパーで入手したマカロニグラタン(20%引き)をホットサンドにしたら”土曜の朝”っぽくなるのでは?と起きたばかりの思考が指向するまま試行してみましたら、思いのほか上出来ではなかったので、禊の意味を込めて本日は「龍ヶ岳(りゅうがたけ)」(標高470m)を目指してみました☝
川沿いの登山道を進むこと数分、苔生したコンクリート橋を渡ると突如現れたのは、触れたらエネルギーをもらうよりも吸収されて一体化してしまいそうな、そんな佇まいすらある山の神様の木・・・生き物のような肌をしています。
さすがの武蔵坊弁慶、牛若丸を追ってここまで来たのでしょうか・・・💧
そんな登山道、開通して暫くは維持されてたのでしょうが、降雨のたび土砂や石が転がってきて、さらに利用者も多くないことから手付かずの状態が続いているようで、荒れ放題の険しい経路でした。
それでも、運動不足の躯体にムチ打てば、1時間チョイで頂上に到着です\(;゚∇゚)/ツイタネー☆
手前にあるのが「椚島 (くぐしま)」、その奥の大きい島が「樋島(ひのしま)」、右に離れているのは「竹島」左の小島は「黒島」・・・あれが樋島なら先日訪れた”樋島大師堂”はあの先かぁ~!と、本日また”点”と”点が”結ばれましたヽ(〃^-^)/★*☆オメデトー
「大道(おおどう)港」を見下ろす眺めもまた絶景(*´ー`) お!ということは”大道集会所”はあの辺なのかな・・・? なーんて考えてみたりなんかして😊
樋島方面と大道方面を収められるなんて、さすがの魚眼レンズ( ´∀`)bグッ!
そして、お日様の位置が”ド真ん中”だなんて、毎度”思い付き”に突き動かされる私の禊がここに果たされた感さえあります・・・
ちなみに足元は、こんな巨岩だったりします・・・(((( ;゚д゚))))アワワワワ
すぐ背中側には展望台があるのですが、ココはそこより低いものの、海側に突出しているので、何だか達成感的なものがチョイ違う的な自己満足的な写真バカ的なアレです・・・( ´ー`)シランガナ
theta360.comっちゅーことで「山=THETA」、今回も山頂からの眺めをぐるり楽しめる画像をアップしました。 上の「龍ヶ岳2020.11.21」という文字をクリック(スマホの場合は、タップ)して飛んだ先のページに読み込まれた画像を、マウスでドラッグ(スマホの場合は指でグリグリ)すると360°全周の風景を見ることができますので、ぜひ試してみて下さい🌏
「ハート岩」も寄ってみましたが、”ハート”が”ハート”に見える位置に行くと、その途端、意志とは無関係に下山することになるので、もう少し山に留まりたかったためこのアングルでご容赦ください😅
さて、山頂散策を堪能し、時折「ガサッ」「バキッ」という音がする中をスタコラと下山してまいりました(||゚Д゚)ヒィィィ!
そして、落ち着きを取り戻したあとは、この巨木の存在感を表すにはアレしかないか・・・と登山携行品の常連ながらなかなか出番の回ってこない魚眼レンズの再登場です(*^-゚)v♪
山頂でもそうでしたが、ここでもお日様が絶妙な位置でキラリーーーンとしてくれて、やっぱ、あの時間から上ったからこそのこの絵だよな~(*^-^*) と、”思い付き”に突き動かされることの大切さを改めて感じたのでありました。
って、禊じゃなかったんか~┐(´д`)┌トホホ
さて、まだ続きがあります。 下山したのに?とお思いですよね。 実は、龍ヶ岳町に向かう際に気付き、山を後にして車を走らせた時にもまだ作業していたので、引き返して尋ねてみたところ・・・今夕「山の神の火焚き」が行われる、ということで、帰宅後に永目(ながめ)港に再度向かいその様子も撮ってまいりました。
例年12月に執り行われる神事だそうですが、今年は本日、ということのようです。
何十年も前から変わらず行われてきた地域のお祭りごとを何十年も変わらず見続けてきた方々には、今年の諸々は至極残念なことだとは思います。 それでも、時期をずらしたり規模を小さくしたり、様々な工夫を重ねて行えたことは大いに喜ばしいことですね。
神事などお構いなしに走り回る子供たちも、この大きな背中からたくさんのことを感じ、やがてこの伝統を受け継ぎ、いつか2020年の今日の火を思い起こすことでしょう。
”思い付き”に突き動かされるって、いいよネ~